夕映えのはな  2

当然、入ったばかりの光恵にとっても、それほど甘い環境ではなかったはずだ。
先輩工女たちの、決死の労働争議の末に勝ちとった「自由外出」や「夜の労働禁止」など、ようやくここにきて認められたものなのだ。
逃げ出せないよう寮の門に施錠した一切外出禁止の処置や、親族との違法な契約による長時間労働など、当時、軽工業の輸出に頼らざるを得ない逼迫した状態の日本経済が如何に危うく、そして、それは過酷で悲惨な状況に置かれた彼女等の犠牲の下に成り立っていたことを考えると、いざ何かことが起これば、時の政治も経済もあらぬ方向に暴走しかねない一触即発状態だったと言っても過言では有るまい。
それでも山の生活から考えれば、一日三食白い飯が食べられ、綿の布団のありがたさを実感出来るだけでもまだましだった。
二段ベッドが並んだ、このタコ部屋のような社会環境の中でも、光恵は身の丈のしっかりとした希望を見出していた。
一日も早く、工場内で表彰されるような一人前の女工になり、いつか金を貯めて父のために棚田を買ってあげたい。
田んぼの中の、小金色に実った頭を垂れる稲穂の一粒一粒まで自分達の勝手にでき、いつでも腹いっぱいになるまで食べられるようにと。
そして、いつしか良き伴侶と巡り逢い、幸福な家庭を築けることを願うのだった。
新入りの光恵は一早く仕事を覚えて、優秀な糸ひき工になろうと懸命に努力してゆく。
多くの女工たちの前で罵倒されながらも、それでも確実に技術は向上していたのだ。
工場の班長さえ舌を巻くほどの負けん気や粘り強さは、生まれ育った松之山にして半年間は雪に埋もれて暗く冷たく、その上食べるものも食べずに、何れ訪れるであろう春を辛抱強く待ち続ける、山間豪雪地特有の生活環境が少なからず影響していたのかもしれない。
叩かれてもめげない光恵を反面教師に仕立て、他の女工たちにやる気を促す班長らの戦法も、いつしかその旗印を降ろさざるを得なかった。
彼らはもうすでに腕をあげた光恵を認め、一目置くようになっていた。
しかもその年の暮れには、若手職工の中でも表彰されるほどの腕前だったのである。

こうして麓の駅に降り立つ娘の姿が、迎えに来た父親の目にどれほど眩く見えたことか。
会社から貰った土産の品と新しい着物を誇らしそうにして、然れどはにかむように微笑む光恵。
手には、家族のために貯めた給金入りの封筒を、力の限りに握り締めていた。
明日の山越えに備えて、立派な料亭旅館の暖簾を潜る四人の優秀な女工とその家族七人。
光恵はそのとき、少しだけ夢に近づけたような気がしていたのであった。
翌朝、用意された昼用の握り飯を受けとり、宿を出たのが朝の七時、前夜から降り続く雪は一向に止まず、踏み固めた道の両脇の、すでに白壁と化したその上にも尚、雪嵩を増やしていた。
綿入りの半纏とモンペ姿に着替えた娘たちは、スゲミノを着け、山笠を被ると男衆の後ろについた。
前に五人、後に二人の男衆と、間に挟まれた娘四人、計十一人の一行だ。
この時期すでに、大陸からの寒風ともに吹き荒ぶ日本海側の湿った雪は、道なき道の斜面を上れば上るほど容赦なく、体中に痛く冷たく染み込んでくる。
途中に何度か吹雪いて前が何も見えない崖道を、降り積もった軟雪に足をとられて肝を冷やしながらも、峠近くの隣村の社にたどり着いたのはもう昼近くだった。
娘たちは、顔を覆った厚手のショールも外さないまま、杉林に囲まれた鎮守の板の間に腰を下ろした。
竹のカンジキを履いた藁のスッペには雪が染み込んで、言いようのないほどの足の痛痒さか。
握り飯をかじる事も無く、一服し、用を足すと誰彼と無く次々に腰を上げてゆく。
もう村まで、じきだった。
後は下りだけの、今日はまだ誰も通っていない雪深い道無き一本道。
代わったばかりの先頭の男衆は、腰まで嵌る降り積もった新雪を体毎こざいて前へ進んだ。
次々に踏み固められる雪道に、更に前を進む先輩女工たちがその跡をなぞってゆく。
光恵には、横殴りの吹雪で少しも前方が見通せなかったが、それでも村外れの我が家が、すぐ目の前まで近づいていたのは分かっていた。
茅葺の小さな家の中の、自分の到着を待ち焦がれている母とまだ幼い妹の笑顔を想うだけで、光恵はすでに逸る気持ちを抑えられないでいた。
体の芯を通して、次第に高まる鼓動と雪を踏む音に紛れ、何故か先ほどから妹の声がしているようでならなかった。
案の定、吹雪で霞む真っ白な雪の原っぱに唯一軒だけひっそりと佇む我が家を見つけて、内心、ひとり大声を張り上げたかったに違いない。
近づくにつれ、ようやく雪に埋もれた薄暗い玄関の奥から、自分に向かって手を振る母と妹を認める光恵。
もう先頭きって、今にも雪の中を泳ぎ出してしまいそうな思いなのだ。
だが、顔を見合わせるだけで、なにも大層な言葉も要らなかった。
ただ涙を堪えて小さく頷く娘。
そして久しぶりの、焦がれた故郷の家庭の匂いで十分だったのだ。
何も言わないまま、また小さく肯く母親。
ミノの上に山のように積もった雪を手で払い落としながら、黙って立つ光恵の首の紐を緩め、肩からゆっくりと外してやった。
凍えきった体の光恵の背には、たすきに背負った大きな土産物と、腕には大きな風呂敷包みが大切そうに握られている。
その雪に晒され、かじかんでしまった光恵の冷たい手をしっかりと握りかえすと、その細い指一本一本を大事そうに、両手を添えて息を吹きかける母。
目も合わせないまま、今度は光恵の足元に屈み込んでカンジキの固く絞った紐を解いた。
光恵の片足を持ち上げると、かなり雪も噛んで、重くなったびしょびしょのシッペから足を引き抜き、そのまま足袋も脱がしてゆく。
すでに、霜焼けにもなりそうなほど赤く腫れ上がった娘の濡れた足を見て、母は自分の頭の手ぬぐいを外して丁寧に拭き終えると、いかにも愛おしそうに、懐に抱えて温めはじめた。
光恵は前屈みで母の肩につかまりながら、必死に涙を堪えるだけで精一杯だったろう。
まだ甘えたい盛りの十三の身で、世間の荒波に晒され、それでも気丈に家計を支える、か細い娘の肩。
母は、光恵を出稼ぎなどには出したくなかったのだ。
募集員の甘い話や、帰省する熟練工の聞こえの良い話にも裏があることは分かっていた。
働きの悪い女工には罰金をかけ、夜中まで働かせ、終いには、働きすぎで体を壊せば捨てられる。
実際これまで、工場から逃げ帰ってきた娘の保証金が払えずに、山を下りた一家を知っていた。
それに至って、どうしてもと娘が望み、仮にそうでなくとも、他に通年の出稼ぎでこれほどの条件の仕事など一体何処に望めよう。
何より米の価格が半分に落ち込み、更に副業に始めたカイコの値が暴落したのでは、家族全員、明日の食い扶ちなど望めるはずもあるまい。
そして母も娘も家族も、もうそれ以上に良い考えなど持ち合わせていようはずがなかったのである。
藁の草履を手にして、傍らに寄り添う幼い妹は、その涙の原因が分からず恐る恐る姉の顔を覗き込む。
光恵こそ顔を向けて、何事もなかったように精一杯の笑顔で微笑み返えす。
そして、何も心配ないと分かると、草履を揃えて土間に置き、姉の腕を握って家の中に誘うのである。
母は、妹の手に引かれて駆け出す光恵の明るい背中を見詰めながら、心の中でしっかりと手を合わせるのであった。
小学校を出たての娘が、いきなり大人の社会に飛び込んで、苦労の一つも無いはずは有るまい。
多感の時期にして、苦しいこと、悲しいこと、ほんの小さな恨みや辛み、愚痴でも弱音でも吐きたかったに違いない。
健気な娘は母親に心配かけることなく、仕事や人間関係一切悪く言うことは無かったのである。
玄関から直ぐの茶の間の土間を、光恵の帰省に間に合わせた真新しいむしろが敷敷き込まれ、この時ぞばかりと囲炉裏端には綿入りの、分厚い座布団が置かれる。
その囲炉裏の鉄鍋からは息苦しいほどの黒豆を煮立たす甘い香りが匂い立ち、冷え切った、光恵の身体の隅々にまで染み入ってくるようだ。
そうして父母の寝室から、大きなボール箱を抱えて戻ってくる妹。
光恵の、遠慮して除けた座布団の上にゆっくりとその箱を置くと、玉手箱でも扱うように、そっと蓋を持ち上げた。
満面笑みを浮かべながら、誇らしそうに、箱の中の一等大きな折鶴を光恵に差し出してくる。
光恵の、掌の上で、ゆったりと翼を広げる美しい折鶴。
艶やかな絹布の衣装をまとい、凛として穏やかに佇ずむ幼い鶴が、ちょうど今、眩いばかりの夕陽を浴びて飛び立たんとしていた。
妹の沙耶のために、光恵が買って送った高価な千代紙だった。
母は二人の様子を嬉しそうに、町で買い揃えた正月用の食材を台所に仕舞うと釜戸で温めたばかりの甘酒をそっと差し出す。
盆の中の、濃く甘く煮詰めたはずの、甘じょっぱい甘酒。
湯気をたてて、焦げた麹が浮ぶ湯のみ茶碗と野沢菜の漬物を受け取ると、光恵は、何食わぬ顔をして、母の前に土産物と給金入りの封筒を手渡すだけだった。
驕るでもなく、燃え盛る囲炉裏の薪に視線をやりながら、好物の甘酒をすする光恵。
母は娘の横顔に向かって、いかにも申し訳なさそうに深々と頭を下げると、そのまま座敷の部屋の仏壇に供えるのである。
線香を上げ、手を合わせながら、茶の間で妹と戯れる光恵を振り返る母。
町へ働きに出して一年と足らず、成長してゆく我が娘のことが目にも眩いくらいに他なるまい。
父とて胸中一緒で、雪踏みから帰ると、すぐさま家畜に餌を与えに厩の中へ入ってゆく。
鶏六羽に家兎が三頭、ケージに入れているわけでもなく、夏場の庭での放し飼いを室内に移しただけなのだ。
時折り、腹でもすけば厩から抜け出し、茶の間にも顔を出す家族の一員。
それでも、盆や正月、大切な来客ともなれば、彼らは食用に供される運命にあったのだ。
干草と残飯を満遍なくばら撒きながら心を鬼にして、これぞと決めた獲物を追いかける父。
殺されてなるかと必死の形相で逃げ回る鶏。
そうでもなければ、頭を振り振り、餌を強請って近づいてくる愛嬌ものたちなのだ。
命がけの逃走の甲斐も無く鶏冠を掴まれた鶏は、絶叫一番、団栗眼をゆっくり閉じると覚悟を決めたものだ。
雪の降り積もる堆肥場で、鶏の首を捻って捌き終えると、台所に走って母の用意した澄まし汁の鍋に放り込む。
母は母で、台所に吊るした新巻鮭を外すと、いかにも脂の乗ったところを大きく切り取り竹串に刺してゆく。
そしていつの間にか、お客だった光恵が葱を切り、妹の沙耶も椀を揃えている。
仲の良い、たった四人だけの家族。

いつもとは違う、早い時間の膳だった。
髭を剃り、髪を撫でて和服に着替える父。
普段は殆ど口にすることの無い銀シャリに、囲炉裏で炙った赤鱒を仏壇に供えると、手を合わせ、念仏を唱えてようやく上座の膳につく。
この時ばかりは威厳たっぷりの、一家の長の顔である。
光恵は、父から受けた梅酒の杯を大事そうに両手で掴むとゆっくり顔を近づけ、少量ずつ、ちびりちびると舐めるようにして味わう。
よそってもらった吸い物の椀の中に、自身のために潰した鶏の、卵になりかけの数珠繋ぎに連なる黄味を見つけると、いくらか鼻高々に、そしていくらか申し訳なさそうにして口の中に滑り込ませた。
また傾ける梅酒が舌の上の小さな黄味を溶かして、もう口いっぱいの、香ばしくて甘い、芳醇な香りに満たされてゆくのであった。
大きな時代のうねりの中で、世間の厳しさを肌身で感じた幼い少女は、この家族団らんの、ほんのささやかな幸せな時間がこのまま長く続くことを願わずにはいられなかった。
それは、一刻も早く自分達家族の田んぼを持ち、自分達自身のための米を作ることなのだ。
何よりも、自分が出稼ぎに出て精一杯働き、父に田んぼを買ってあげることに尽きる。
だからこそ、光恵はどんなに辛い仕事も苦労と思わず平気でこなしていった。
当時、世界同時不況や不安定な生糸相場、それに輪をかけた業界の山師的会社経営のつけは、ますます過酷な労働環境となって工員たちに跳ね返ってきていた。
周りの女工たちは会社に対し愚痴や不満を言い合い、多くの駄目糸を作り出す中、光恵だけはわが身の立場をわきまえながら辛抱強く、そして前向きに機械の前に立った。
先輩女工たちに誘われても、お洒落や都会の町の様子などには一切目もくれず、仕事の休憩時間さえ惜しむように只ひたすら糸を紡いだ。
そして、その褒美が、ほんのちっぽけな誇りとこのような家族の温もりの実感だったとして、光恵にとっては大きな成長の証だったのではないだろうか。
戸外ではあたり一面に降り積もった雪の明りが、なお舞い落ちる大粒のぼた雪を映し出していた。
総てのものを覆い尽くし、人々の感情さえ打ち消すように、音も無くしんしんと降り積もる山里の雪。
時折り耐え切れなくなった軒の上の雪が、土塗りの壁に跳ね返って鈍い音をたててゆく。
やはり何事も無かったように、また一年が終わろうとしていた。
新ござが敷かれた座敷では、コーセンを舐めながらカルタ取りに興じる女達。
茶の間の柱にかかった旧式の時計が新たな年を伝え、父が鎮守の杜から帰ってくるころには、光恵も沙耶も、もう眠気を我慢できなかった。
座敷の中央には光恵の寝床敷かれてゆく。
打ち直したばかりの、たった一組だけの客用綿布団。
光恵はこの家の匂いのする、どっしりと重く、それでもふっくらとした暖かな綿布団の中に身を包まれながら、また新たな希望を見出していた。
それでもようやく身体が温まってくると布団から抜け出し、隣の寝室の、土間に敷かれた父母と妹のワラ布団の中にそっと体を滑り込ませた。
光恵はようやく、満の十三にもなったばかりだった。
 

暗黒の木曜日」、米ニューヨーク株式市場の大暴落は、一瞬にして世界中に大きな波紋を広げていった。
それまで度重なる金融・経済恐慌に苛まれ、不景気のどん底で喘ぐ日本にも、さらなる世界大恐慌の大津波となって押し寄せてくる。
生糸や綿織物の輸出で体面を保つ日本経済も、過度の輸入増加や軽工業の機械化と合理化の遅れ、鉱工業の衰退など等、そして何より対輸出国、アメリカ経済の壊滅的な状況と相まって一気に奈落の底へと突き落とされてしまう。
多くの製糸、紡績工場はアメリカという大きな市場を失い、否応無しに国内市場への転換を余儀なくされた。
供給過多により過当競争のしわ寄せは、尚一層の労働環境の悪化へと波及してゆくのである。
昭和六年、世に吹き荒れる不況の嵐は一向にとどまることを知らず、その影響は製糸業界の経営者だけでなく、直接女工たち一人一人の肩にまで重く伸し掛かってくるのだった。
未曾有の世界大恐慌は、慢性的経済不況真っ只中の日本に更なる深刻な影響を与えていた。
不景気と物価高、米価格の暴落、そのうえ追い討ちをかけるように、日本各地で相次いで起こる大凶作。
働けど働けど一向に生活楽にならず、都会では「大学は出たけれど・・・」貧困農村地帯に至っては「完全欠食児童・娘の身売り」などの言葉が、まるで流行り言葉のように巷を駆け巡る。
満州事変が引き起こされたのは同年九月。
そののち政党政治から見放され、舵取りを失った昭和日本は、あの呪われた「十五年戦争」へと突き進んでゆくのである。
いみじくも一時的な軍需好景気は、都会と農村部の格差を一層広げていった。
文明開化により富国強兵から大正デモクラシーを経て、国民は「昭和」という名の字の如く、明るく平和な時代の到来を想像したかった違いない。
糸ひき工となって、三年目の冬を迎える光恵。
彼女の懸命な仕送りは、すでに前渡し金を含めた会社や地主との借金分をおおよそ半分にまで減らしていた。
その度ごとに送られてくる、筆不精の父親による感謝の手紙。
光恵は、その走り書きのように短く、そしていつも同じ内容の便箋を見る度に、家族の中の自身の立場を強く意識するのである。
現金収入の全く無い小作農家にとって、出稼ぎに出た娘からの仕送りがどんなにありがたいことだったか。
妻と娘二人の女たちの輪の中にいて、常に口数が少なく大人しい父。
それでも光恵には、いつも傍らで、只微笑むだけの父の気持ちでさえ総て手に取るように分かっていた。
便箋の枚数が溜まるごとに、いよいよ休み時間を減らして仕事に打ち込んだ。
一日も早く父親の借金を無くして、自前の田んぼの中に、松之山で一等美味い米を作らせたかったのである。
すでに優良工女の仲間入りをしていた光恵。
性格が素直なうえに責任感が強く、生まれつきの器用さから際立った成績をあげ、会社側の評価もうなぎ上りに高まっていた。
だが工場内で、鬼のように恐れられる班長や厳しい教育係の先輩工女からは一目置かれる分、逆に周りの女工たちからは妬み疎まられ、いつの間にか一人孤立状態になってゆく。
仕事を終えて寄宿舎に戻っても、光恵の許に寄って話しかけてくるものは誰一人いなかった。
日の出とともに起き出し、食事と用足しと、僅かな睡眠時間以外は機械の前に座りっぱなしの毎日。
時間一杯までとことん働き、疲れきった体は、もう誰彼に話しかける時間も気力も無く、ただ故郷の家族のことを想い、季節ごとに送られてくる父からの便りだけが唯一生き甲斐だったのではなかろうか。
それにしても光恵は良く気が付き、良く働いた。
他の者には辛く単調な作業も、田舎での生活を思えば然程苦にはならなかったのも頷ける。
一日三食、米の飯が食え、綿入りの布団に寝られ、働いた分だけ給金が貰えるのだ。
これほど故郷を想い、家族のために働くことの喜びは、今こうして、糸引きの出稼ぎに出たからこそ味わえる。
米どころ、越後の魚沼や頚城にして握り飯ひとつ食せず、冬は暗く冷たく半年間は家から村から一歩も外に出ることさえ叶わず、夏は夏とて、精を出して作業した五反部ばかりの小作の棚田から一体どれだけの収穫が望めようか。
その中から高い地代と租税を差し引き残ったくず米を、稗、粟混ぜてアンボにして、まさか美味かろう筈もあるまい。
それとて、望めぬ年さえ有ったのだ。
それより光恵には、まだ深い残雪の下から微かな小川のせせらぎが聞こえ、ブナ林の木々の根元から愛らしく雪を撥ね退けフキノトウが頭をもたげ、川縁の若い猫柳の枝から新芽が力強く萌え出で、そして、目も覚めるほどの青空に照りかえった白い雪の斜面から棚田の畦が顔を出し、これぞとばかりに土筆が天を仰ぐ、家族の待つ眩いばかりの故郷の光景が目の前に浮ぶだけで、これから訪れるであろう自身のどんなに辛い試練も乗越えられる様な気がしていた。
そして光恵にも、ひょっとして、小さな春が訪れようとしていたのだろうか。


(・・・・・・四方を山々に囲まれた盆地には、主要な街道と大きな恵みの川が走っていた。
日本屈指の名峰が頂を連ね、八百万の神が宿らんばかりの峰々を、雄々しく朱色に染めて映し出す穏やかな湖面。
湖の先の東の空が飴色に光り輝き、雪に覆われた山並みの背後から驚くほどに燃え上る、一際大きな朝陽が姿を現してくる。
久々の一斉休業に周辺の空気は澄み渡って、感動の吐息さえどこまでも、白く湖面を渡って行きそうだ。
ここのところ朝晩めっきり冷え込んで、やはり初雪の知らせだった。
冷たくかじかむ両手に息を吹きかけながら、おもむろに後ろを振り返る光恵。
湖畔に舞い降りた白いじゅうたんの上を、ゆっくりと歩み寄る愛しい人。
本格的な冬も、もうそこまで来ていた・・・・・・)


夜半まで降り続いた雪で、窓の外は一面銀世界だった。
暴れ大川を挟んで林立する工場の煙突からは黒煙が立ちのぼり、とうに満天の星空を覆いつくしていた。
まだ明け切らぬしじまの構内を、靴音を響かせながら駆け寄ってくる一人の若い工員。
ふっと我に返り、そのまま後ろを振り向く光恵。
被った手ぬぐいの下の襟髪をそっと直しながら、静かに男から視線を逸らしてゆく。
いよいよ湖面が東の空を朱色に映し出すころ、いきなり、そこかしこの工場から朝一番を知らせて汽笛が鳴り響いた。
場内はまるで堰を切ったように、隣接する宿舎からいま起きたばかりの女工等が、形振り構わむ格好で一斉になだれ込んで来る。
初雪の、吐く息も白い晩秋の冷え込みも、棟内はすでに釜に火がつけられ、蒸気と熱気でむせ返るほどだった。
慌しく行き交う工女等を尻目に、何食わぬ顔で光恵の腰を下ろす作業台の後方を通り過ぎ、機械の蒸気を調整してゆく若い男、高林賢三、二十歳。
越後の頚城から出稼ぎに来て早六年、その真面目さを買われてこの春から班長見習として社員に登用されていた。
自ら、小僧とともに繭車を牽き、窯に火を付け、機械に明かりを点してゆく。
馬鹿がつくほど真面目な性格で、仕事もほどよくこなし、会社にとっては将来有望な現場の幹部候補生。
自身、ようやく将来の希望が見出せて、仕事にも張りが出始めたころである。
賢三の実家は、米どころ越後頚城地方の極めて棚田が多い山間の農家で、御多分に漏れず、その狭いが故の苦労を強いられていた。
その上、先の関東大震災から続く景気低迷と相次ぐ大飢饉の煽りを食い、米生産農家にあって尚、今日明日の食い扶ちに事欠く有様だった。
家には両親と息子四人、娘三人の子供等、そして中風で寝たきりの祖父がいた。
すでに次兄と姉二人が出稼ぎで都会に出て働き、賢三も尋常小学校を卒業するや否や口減らしのため、愛知の機械問屋へと丁稚奉公に出されるのである。
雪国山間僻地の貧農の一家に生まれ、七人兄弟の中で質素に育った賢三は、幼いうちから何事にも辛抱強く、贅沢も望まず、貧困や差別に挫けることなど無かった。
この奉公先でも、陰日向無く、愚痴一つこぼさずに良く働いた。
他の誰よりも先に起き、先ず他人が嫌がる仕事から手をつけてゆくのである。
誰に教わったわけでもなかったが、この歳で最早、兄弟のなかの存在や社会との係わり合いを意識し、どんな状況でも自身の立ち位置を見出せるようになっていた。
だがそのことで周りの従業員からは疎まれ、誤解され、いつしか皆から後ろ指をさされる状態だった。
小学校を出たての丁稚の身で、大人たちの顔色を窺いながら、ずる賢く振舞っているように受け取られてしまう。
性格が大人しいうえに不器用で、また地方訛りが強い分だけ無口なため、ますますエスカレートする嫌がらせや誤解に対して、言い訳することも自身の気持ちを素直に伝えることさえ出来ずにいた。
何より、彼等の仲間に加わる術を、未だ幼い賢三が持ち合わせていよう筈も無かった。
そして半年も経たぬうちに有らぬ噂を立てられ、周囲には疑われ、それに対して反論することもなく、店を去ることになるのである。
さらに、すべての事情を知っていた店の主人でさえ賢三を慰留することをしなかった。
それは賢三の、朴訥として多くを語らず、自分の言い分さえ主張できない性格が、商人としての資質に欠ける事をその時すでに見抜いていたのだ。
その上、賢三の存在で、店の中の和が保てなくなっていたのも事実なのである。
それとて、越後人気質や賢三個人の性格、そして世間知らずの幼さからくる立ち振る舞いと周囲が理解し、配慮してやることで多少は問題を解決出来たのかもしれない。
賢三は明確な解雇理由さえ告げられずに店を追い出されてしまう。
いつしか迎えに来た父親に連れられ、姉の伝を頼って、山々が猛々しく四方を覆う盆地の、この美しい湖の畔に足を留めることを決意した。


今の光恵には、けたたましく鳴り響く始業のサイレンも、戦場と化した工場内の喧しささえも只の子守唄に過ぎず、何故かまた、うつらうつらとしてゆくのだった。


(・・・・・・谷越しに、山一面が朱や黄金の色に燃え上り、なだらかな裾野の湖畔までをも焦がしていた。
黙ったまま、賢三の後についてゆく光恵。
岩肌から伸び出た漆の枝がまるで手招きでもするように、色鮮やかに、眼下の寺院の五重塔を大イチョウが今を盛りに彩を放っていた。
モミジやカエデの落ち葉を踏み分けて上る穏やかな坂の上には、四方が日本の名峰の小高い丘が見えてくる。
そして、立ち止まる賢三の大きな背中の向こうには、目も覆うほどの眩い太陽と澄み渡った群青の空、稜線に沿って麓に伸び広がる艶やかな木々の実りと紺碧の湖か。
光恵は息を飲むのも忘れたまま、眼前を空高く舞い上がる山の鳥を追うのだった。
合わせるように、振り向きざまに見上げる賢三。
故郷の、刈り入れの済んだ棚田から、天高く舞う一羽の山鳥を見詰めるようにして。
大きく息を吸い込むと、大空に向かって駆け出してゆく光恵。  
立ち止まり、賢三の顔を見つめて微笑んだ。
答えるように、陽光に映えて尚一層深みを増す赤や黄色や蒼さの峰々と、穏やかな稜線を縫って吹き渡る高原の風。
ゆっくりと歩み寄る賢三。
光恵は再び大きく息を吸い込むと、手に取るように浮かび上がる湖の辺の、多くが立ち並ぶ煙突の中の一本を指さした。
賢三は、振り向く光恵の視線に頷くと、眼下の街道沿に伸びた盆地をゆっくり上方から辿りながら、美しく青さを湛えた湖面に目を留めた。
周りを所狭しと立ち並ぶ工場やその煙突の中から、光恵の指さす先はすぐにも見当がついた。
そのマッチ棒ほどの細い煙突の、そのマッチ箱のような小さな工場の、見るからにちっぽけなその空間の中には、二人にとっての総てが有ったのだ。
ともに越後の貧農の家に生まれ、尋常小学校を出たてで口減らしのため出稼ぎに出され、朝から夜まで無心で働き通し、その給金一切を貯めて親元に仕送りを続ける親孝行の二人。
故郷の家族のため、自身のため、そして二人のための夢が詰まった小さなマッチの箱。
湖畔から伸びた大川沿いにまで多くの工場がひしめき合い、その工場の中でうごめき合う工員の一人ひとりはさぞかしちっぽけに見えることだろう。
だが光恵も賢三も、自身らと、その二つの家族の将来にはっきりとした希望を見出していた。
賢三の手を掴んで小さく歓声をあげる光恵の視線の先には、雪を頂く霊峰富士が東の彼方にくっきりと浮かび上がっていたものだ。
二人は腕を取り合い、麓の茶屋へと下って行くのだった・・・・・・)

むせ返る繭の異臭と多湿に騒音、次々に吹き出る額の汗が、痛いほどに目の中に染み入ってくる。
息苦しさに咳き込みながら顔を起こす光恵。
とうに工場内は、湿気と熱気で体中が汗ばみ、床をも濡らしていた。
どれ位の間こうしていたのだろうか、まどろむ光恵には、蒸気で霞む目の前の光景が果たして夢なのか現実なのかさえ分からなかった。
何故か調整もされないまま蒸気弁が異様に唸りをあげ、同時に繭箱からの糸がよれて絡み合い枠車が大きく異音を発している。
今までは絶対にこんなことは無かったし、悪夢だとしても気にはなる。
だが、今の光恵には気力も体力も萎え果てたほどに、もうどちらでも良かった。
ただ、ひとつだけ確かなのは、夢の終いの、賢三とともに連れ込み宿に入ってゆく女の後姿は、決して自分では無かったことだ。
おそらく、それら総てが現実だったのかもしれない。
目の前で機械が止まり、隣の女工が立ち上がり、班長が血相を変えて駆け寄ってきて怒鳴り声を発しようとも、光恵には何ら苦にならず、むしろ何から何までが心地よかった。
一瞬、息も止まるほどに夢見心地で、まるで走馬灯の如く、遠く離れた松之山の楽しかった思い出が脳裏に蘇り、優しき父母の笑顔や幼い妹の仕草が頭の中を駆け巡ってくる。
そこには恋焦がれる賢三も、この美しい都会の町も、優しき同僚達も、どのこの仕草や思い出の一遍たりとも姿を現すこともなく、いいや、もしかしたら、感じていたこと総ての事柄が妄想だったのかもしれない。
そして突然、雁字搦めに繭糸が絡みついた目の前の機械のように、光恵の心の中で湧き水の如く溢れ出る楽しかった記憶の総てが音を無く一瞬にして吹き飛んだ。
何度か軽く咳き込みながら、何故か意思を持たない夢遊病者のようにふらふらと立ち上がり、ゆっくりと口元を両手で覆う光恵。
この世のものとは思えない小さな唸り声を上げて背中を揺すり、青白くやせ細った頬を汚し、すでに濡れ切った前掛けを伝って土間に流れ落ちるおびただしい量の鮮血。
光恵は、周りの驚く女工のひとり一人の表情が冷静に読み取れるほどにゆっくりと、その場に崩れ落ちてゆくのだった。

豪雪を生き抜いた農民たち」「国史大事典」「あゝ野麦峠」「ウィキペディア」等を参考にさせていただきました