夕映えのはな 4

         夕映えのはな

「なあ、サヤちゃん・・・」
「・・・んー?」
「サヤちゃん、絵、うめなあ・・・」
「んん、ん。トミちゃんのほうがじょうずだよ」
農繁期の田植え時期を終えて久々に顔を合わす、りえ先生とわたしたち。
沙耶に至っては、小学校入学式当日から数日間、通学したきりだった。
「ふふっふ・・・、二人とも本当に上手く描けてるわよ」
麓から吹き上がる気流に乗った大柄な鳶が、いかにも心地よさそうに三人の頭上で鳴き声を響かせてくる。
師走に降り始めたボタ雪が根雪となって五か月間、大雪に阻まれ一歩も村の外に出られず、それでも辛抱強く穏やかな春の訪れを待つ松之山の人々。
恋焦がれる愛しい人にようやく会える喜びのように、彼らは完全に消雪する五月の声を待たずして、春爛漫の山里の風情に思いを馳せていた。
遅れてやってきた分だけ春は赫々たる輝きを増しながら、そちらこちらから聞こえくる溶け落ちた雪解けの音とともに小川が姿を現し、せせらぎ、柳の枝がしなって雪を撥ね退け、そして田圃の畦道からからふきのとうが顔を覗かす頃には逸る気持ちも押さえきれずに棚田へと駆け走って、田おこし、代掻き、田植えと遅れを取り戻すように一気に終えると一息、今こうして里山の、猛烈な初夏の息遣いを感じ取っていたであろう。
「・・・サヤちゃーん・・・」
「・・・んんー・・・」
「・・・ミツエねちゃん・・・ゲンキかあ?・・・」
「・・・」
わたしの問いかけに顔を曇らす沙耶。
「おら、ミツエねちゃんにあいて・・・」
帰省するする度に輝きを増す沙耶の姉、光恵の印象はわたしの記憶の中の大きな存在になっていた。
「・・・んん、ん、だめだよ。おこられるんだ・・・」
沙耶は絵筆を持つ手を休めると悲しそうに顔を背けた。
「ねえ富子さん、光恵さんは病気なのよ。光恵さんが良くなるまで我慢しなさい。良い?」
「・・・うーん・・・」
光恵が岡谷の製糸工場を解雇されてはや七ヵ月。
家族のための、ほんの小さな身の丈の夢を抱いて都会に出で、自身精一杯働き、そしていつしか夢破れて持ち帰った国民病と恐れられる結核病、その診断こそが死の宣告だった。
開国以来、西洋に追いつけ追い越せとばかりに富国強兵の大命題の下、殖産興業政策が推し進められ、主に製糸紡績産業による生糸や絹の輸出外貨は、鎖国で立ち遅れた産業経済基盤を下支えしていた。
なかでも地方の貧困農村部から出稼ぎにやってくる若い女性たちの働きが、いかに重要な役割を担っていたことか。
それにしても締め切った工場内は繭を煮た異臭と高温多湿の劣悪な環境と化し、さらに睡眠時間以外休憩さえままならない過酷な労働条件等など、まるで結核の温床と言わざるを得なかった。
希望に燃えて自身や家族、会社や国のために精一杯働き通し、そして何時しか病に蝕まれて工場から解雇され、紙切れ一枚で家元に引き取られてゆく運の悪い働き者の女工たち。
ストレプトマイシンによる、抗生剤内科療法が認知される一昔前の当時では気胸療法が関の山で、それとて医者に掛かっての療養では法外な治療費がかかってくる。
それでも光恵の父は、毎月律儀に送られてくる仕送りを貯めて買い求めた家族の夢の田畑を再び二束三文で売り払い、懸命に結核治療を施してやるのだった。
つてを探ってようやく長岡の結核病院内療養室の空きを待って取り急ぎ入院させたのが一週間後、だが、その後の病状は十分な治療効果も認められずに一進一退を繰り返していた。
ところが、有る事柄を期に想像を絶する劇的な回復力をみせるのである。
焦点の定まらない虚ろな眼差し、蒼白く扱けた頬、骨と皮のように痩せ細った四肢の光恵にようやく生気が蘇り、紅色の唇で微笑む姿が見られるようになったのが入院して二カ月もした頃だ。
家族にとってもどれだけ喜ばしかったことか。
時期はすでに師走の中旬で、これから根雪になるであろう舞い落ちるぼた雪を目の前にして父親は決断していた。
本格的な降雪にもなれば半年は陸の孤島と化し、容易に山を降りることもままならず、それではこの際とばかりに沙耶が学校にあがる春先までの間、長岡市内の病院近くに見舞いのための安価なアパートを借りて妻と娘を住まわせよう。
光恵にとっても身内の者が近くにいることで心強いに違いあるまい。
一気に病も快方に向かって、今度こそ家族が離れ離れになることなく一緒に暮らすことが出来るのではないか。
その時こそ、改めて家族への想いと神への感謝の気持ちを携えて迎えに行こう。
二度と光恵を出稼ぎには出すまい、絶対に手放すまいと心に誓って。
そして、雪解けを待たずに長岡の病院から退院して松之山の自宅に光恵が帰ってきたのは三月も半ばだった。
未だ雪深く容易な帰路ではなかったが、それでも一家四人力を合わせるようにようやく玄関の木戸を開けてほっと一息ついたのが陽もかげる夕刻。
ただ、当初の願いと大きく違ってしまったのは、父の背中からゆっくり下ろされる光恵の姿が以前にも増して極度に衰弱し、もはや見る影もないほどに痩せ細った骨と皮だけの体躯や血の気の引いた蒼白い無表情の顔、諸々。
それは光恵自身の事情が急変し、全てを失くした娘のたって願いを叶えようと、父が病院側の引き止めるのも聞かずに松之山の自宅に連れ戻したのである。
もう、これ以上手の施しようの無い娘の最後の時間を微塵も無駄にすることなく、差し替えることの出来ない辛い定めを背負わせてしまった自身がこれ以上悔いることの無いように、今、可能な限り出来ることはしてやろう、残された最後の時間をともに過ごしてやろうと。
世間からみたらどんなに非常識で、どれほど罵られようとも、運から見放された極貧農家の出の糸引き女工の末路が覆えらずとも、だからとてこの期に及んで他にしてやれる事が有っただろうか。
光恵にしても自身の運命を他者に身代わりになってもらおうとか、父や母や妹や、大切なこの小さな家のせいにしようなどとは決して思ってはいなかったのである。

 

「あらあら、もうこんな時間・・・。二人といると楽しくって時間の経つのも忘れてしまう。今日は本当にありがとうね、富子さん、沙耶さん・・・」
「ううん、おらこそ・・・」
「わたしも・・・」
「ふふふ・・・。二人とも、とっても絵が上手よ・・・。今日は先生をこんなにきれいな所に連れてきてくれたお礼にその絵の具をあげるから、これからもお絵かきを続けてちょうだいね。あとで、お父さん、お母さんにも話しておくから・・・。さあ、じゃあ片付けましょう」
「んーっ?、んん・・・」
「ほらほら富子さん、また来れば良いじゃない?。ねっ、早く早く・・・。御家族の方にはあなたたちをお昼にはお返しするって約束してあるのよ。ねっ・・・」


集落から幾分離れた村境に、ひっそりと佇むように建つ沙耶の家。
木造平屋建ての古びた家の裏手を、清水の湧きいずる一本の小川が流れていた。
川幅を護るように連なるの木々の枝には多くの野鳥が戯れ、さらさらと弛まない渓流の音に紛れてカジカやアカショウビンが鳴き競い、時に田畑へ水を供し、時に人々の生活に供した。
そして向かいの一寸高台には、盆暮れ正月、村の政の折々、人々が集い、祈り、感謝する、鎮守の祀られた小さな杜が有った。
境内を覆うように、真っ直ぐ伸びきった杉や桧の枝先から降り注ぐ強烈な陽射しが、所狭しと駆け回る子等を照らし出す。
恵みの川と燦燦と照り輝く恵みの太陽、かけがえの無い健康で明るい子供たち、家族四人が食べていくだけで精一杯でも、ひょっしたらそれだけで十分だったのかもしれない。
贅沢なものは何一つ無かったが総てのものが揃っていたのではなかったか。
多くの大切な物を失くす前に気付けたら、人々は、どれほどに幸福であったことだろう。

沙耶の父、尚一は幼くして両親を亡くし、その後親戚中をたらい回しにされながら幼少時代を過ごした。
叔父叔母、従兄弟たちの心無い言動や周囲の冷たい視線、或いは自身の気兼ねにしても、決して誰彼が悪かったということではあるまい。
当時、世間では世界的大恐慌の影響を受けて多くの会社が倒産し、輪をかけるように、慢性的な凶作が物価高とともに就職難を招いていた。
人々は仕事も無く、農家でさえ自らの食す米にさえ事欠く有様で、ある者は口減らしに我が子を身売りし、出稼ぎに出させ、終いには年老いた祖母などを泣く泣く背負って山奥に捨ててくるという話もある時代。
そんな時、跡取りのいない老夫婦に貰われて尚一はこの村にやってきた。
本来まじめな性格で、良くしてくれる心優しい義父義母に応えようと家のためによく働いた。
尋常小学校を卒業する頃には寝たきりの義父に代わって田畑を切り盛りし、何時しか二人の最後を看取る頃、尚一は隣の村から嫁を娶る。
地域社会に応えようとする、若い夫婦の一途でひたむきな想いは村人全員が認めるところだった。
光恵が生まれ、沙耶が生まれ、生活は苦しかったが、おそらくその時二人は、ほんの小さな幸福感を覚えていたにちがいない。


「・・・ミツエさー・・・、ミツエさーん・・・」
わたしはりえ先生に伴われて帰宅するとすぐさま昼食をとり、母と祖母には黙ったまま村はずれの沙耶の家にやってきていた。
沙耶には声をかけることなく、家の裏手の作業場を手直しした光恵の部屋の外から小声で呼びかけた。
直ぐ脇を、まるで様々な人々の営みや感情などまったくお構いなしに、淀みなく清流が川音を響かせるだけだった。
「ミツエさー・・・、ミツエさー・・・。おら、トミコだあ・・・」
それでもわたしは沙耶や家の者に気付かれぬよう、隙間だらけの土塀に顔を擦り付けながら呼びかけた。
「・・・えっ?、トミちゃん・・・。外に居るん?、・・・ううっ、ゴホッ・・・」
締め切った薄暗い部屋に差込む一筋の光が、自身の定めを悟りきった光恵の、すでに生きる屍のように痩せ衰えた身体をおぼろげに照らし出していた。
部屋の隅に身を置き、小さくなった身をさらに丸めて、また、か細く息をすする。
すでに、病巣が全身に広がっていたことを物語る、湿った重苦しい咳が次々と晒を朱に染めてゆく。
息することも、咳さえも辛かったが、生きる希望を失ったわけでも、誰かを恨んでいたわけでもなかった。
塀の外側から、自身を呼ぶ声だけは聞こえていた。
母に似て美しかったであろう光恵の、もう、やつれきってしまった顔が凄まじいほどに陰影をつけて光の方に振り返る。
「・・・うん。ミツエさん、おらミツエさのかお見て・・・」
「・・・ううん。ねえ駄目よ、大変な病気がうつってしまう。お願い、早く家に帰って!」
光恵は切なくも、いやおそらくは腹の底から声を絞り出すように、全身の力を込めて訴えかけてくる。
「おら、ぜんぜんおっかなくね。ミツエさんのかお見てんだ!」
わたしは光恵の病気のことは祖母や母、そして村人たちから口喧しいほどに聞かされていた。
それは、人々がこの家の前を通るときこそ息を堪えて両手で手鼻を覆いながら足早に走り去り、恐怖心から口々に、この家や家族の一人ひとりのことを罵り合うのを観ていても分る。
だが光恵が持ち帰る手土産や都会の土産話は、当時ようやく物心のついた、わたしの心に強烈な衝撃として今でも鮮明に記憶の中にあった。

「・・・ミツエさー・・・」
「・・・トミちゃん・・・」
父母と沙耶は昼食を取り終え早々、野良仕事に出ていたのだ。
光恵は覚悟を決めたように、静まり返った家の端の作業小屋の、自身の部屋の隙間だらけの硬い木戸を一寸二寸、陽射しが差込む程度に押し開けた。
何故開けて、何故それ以上開けなかったかは、最後の別れにこちらの顔を一目見ようとか、自身の変わり果てた姿を覚られたくなかったとかではなく、ただその時、自分を想ってくれる最後の人間にせめても応えてやるのに他に方法が見当たらず、これしかないと思ったからではなかろうか。
「・・・ミツエさー?・・・」
「・・・ウグッ・・・」
光恵は木戸の影から光を避けながら、丸めた晒で必死で口元を覆うしかなかった。
「ミツエさー、だいじょうぶかあ?・・・。ほら、はやくビョウキ治して、また、きれいなトカイにもどって、はたらけ・・・」
「・・・ううん、富ちゃん・・・。私はもう、岡谷の工場には、戻らないの・・・ごめんね」
少しだけ開けられた木戸の隙間から、光恵の苦しそうな息遣いがはっきりと捉えられていた。
「・・・なんでだあ?」
「本当はね・・・、良いことなんか、ひとつも無かったの・・・。ううん、そうじゃない・・・。それでも、色々有ったから・・・。ひょっとしたら、幸せだったのかもしれない・・・。でも・・・ねえ、富ちゃん・・・、ここにだって、良いものが、こんなに沢山有るじゃない・・・。こんな体になって、やっと分ったのよ、わたし・・・」
「・・・いいもの?」
「・・・ええ・・・。こんなにも、綺麗で、多くの恵みを与えてくれる自然・・・。本当に、大切な家族・・・。そして、とみちゃん・・・あなたの未来・・・」
か細く息絶え絶えに、だが、それでもしっかりとした語り口の光恵の話を、わたしはその時、わたしたち家族を捨てた父の居る見知らぬ都会の街の情景と重ね合わせていた。
「・・・おらのみらいって?・・・」
「・・・そう、とみちゃんの、将来・・・。女だって、真剣に生きれば、何だって出来るの。もう、男にだって、負けない・・・」
けだし菌が身体全体の組織を蝕み、立っているだけでも辛かったはずである。
それでも最後の力を振り絞るように、光恵はたどたどしくしくも強い口調で言い放った。
「・・・けんかしてもかあ?・・・」
「ふふ・・・プッ、グブッ!・・・」
そして、苦しそうに咳き込みながら板の間に崩れ落ちる光恵。
少しだけ開けられた、木戸の隙間から垣間見える薄暗い室内を照らし出す陽射しが、痩せ細った蒼白い足首と迸る多量の鮮血を浮かび上がらせた。
わたしは、未だかつてこれほどの恐怖感を覚えたことが有っただろうか。
ただ呆然と立ち竦み、光恵の名前を呼び続けるしかなかった。
「・・・ミツエさあ・・・、ミツエさあ・・・」
「・・・ち・か・よ・ら・な・い・でっ・お・ね・が・い!・・・。かえって・・・、は・や・く!・・・」
わたしにはそれ以上何も為す術が無かった。
時折振り返り、泣きながら必死に駆け走るわたしの脳裏を、光恵の最後に発した、「もう男にだって負けない」の言葉だけが駆け巡っていた。
優良糸引き女工の人生仕舞いの誇りか、はたまた自身を慕うわたしに一瞬みせた、女としての人生一人愛しく想う人への悲痛の叫びだったのか。
わたしは一切から逃れるように夢中でブナ林を走り抜けた。
息せき切っていよいよ自宅の厩にたどり着くと無心で牛に餌をやるも、果たして心中穏やかではいられなかった。
光恵のたっての約束通り、その日のことは周りの者に一切口外することはなく、そして、彼女ともそれが最後になったのである。

 

それは、例年に比べて遅れてやってきた長雨がやけに冷たく、ひょっとしたら梅雨の走りだったのかもしれない。
雪国のひとたちさえ凍りつく大ぶりの雨が、天水連峰の窪地を濡らし続けていた。
光恵が逝ったのが朝方だったという。
異変を感じた家族が夜通し看病、身体を捩って苦しむ光恵が一瞬向き直り、母親が口元の血反吐を拭ってやったのが最後。
鳴り止まぬ雨音に紛らわせて、微笑むように。
健気な光恵が終いに、家族に向かって何を言わんとしていたかは想像に難くない。
大粒の雨が、何事も無かったように、多くの感情を清流に押し流してゆくだけだった。
数日続いた冷たい雨が嘘のように止んで、おそらく、梅雨の中休みであろう向こう側の空が朱色に染まり、幾重にも連なる山並みの稜線やら穏やかに麓に伸び広がる田植えの済んだ棚田一枚一枚やら、目にも鮮やかに浮かび上がらせていた。
光恵の葬儀が村の総代と数人の男衆の手でひっそりとしめやかに執り行われて、わたしはもう二度と彼女に会えないことだけを自覚していた。
                                                            
何ら変わることもなく、窪地に降り注ぐ陽射しは高温にして多湿で、やはり旧盆も終わればこぞって若い人たちは、多くの手土産と土産話を残して足早に都会の街へと去ってゆく。
そんな頃、祭りの後の静まり返った村に、ひょっこりと一人の若者が訪れた。        
男の名は高林賢三。
自身の故郷、中頚城に帰省中、人伝に光恵の消息を聞きつけて意を決するように取り急ぎやってきた。
光恵とは同じ岡谷の製糸工場勤めで、方や売出し中の優良工女、方や小僧から社員になって間のない班長候補ながら、何時しか互いに意識し合い、心引かれてゆくのである。
地方の村々から様々な夢や希望を描いて都会の街に出で、多種多様な人々とその思いの交錯する工場内で、光恵と賢三は際立って純粋だった。
それは、何飾らない仕事への取り組みや家族、同僚への想いなど、共通するように越後人気質の自身を上手く表現する術を持たない分、ただただ真っ直ぐに邁進するふたり。
だが、光恵にしては一流糸引き工の名と引き換えに死の病を引き受け、賢三こそ現場の班長昇進とともに他社の優良工女の引き抜き役を担わされてゆく。
そのとき賢三は、総てをなげうってまで光恵の運命を引き受ける気にはなれなかったのかもしれない。

こうして、執拗なまでに身を焦がし蒸せかえる旧盆明けの残暑や、入り組んだ細い山道など何の苦労があろうか。
連なる棚田の山あいの窪地に、ぽつりぽつりと点在する部落や一寸離れた光恵の家のことなどとうに見当はついていたのだ。
それよりも、光恵の最後を窺い知って、この期に及んでなお心ここに在らずだった。
昼時の、食事を摂り終え野良仕事に出るまでの僅かな時間を見計らって光恵の家を訪れていた。
村外れの、古寂びて小さく、されどこじんまりとした家の佇まいは周囲の清楚な自然環境に何ら違和感もなく、その存在さえしっかりと主張している。
軒先の畑の草むしりや家の屋根壁の手入れは行き届いていたが、妙に鬱々として息苦しく感じてしまうのは、ただ賢三自身の主観だけだったのだろうか。
玄関に入ると大きくひとつ息を吸い込み、覚悟を決めたようにようやく家の中に声を掛けてゆく賢三。
何気兼ねなく迎え入れてくれるであろう父母は優しく、笑顔で駆け寄ってくるまだ幼い妹は可愛い盛りだと以前光恵から聞いている。
だが、玄関や板の間茶の間の引き戸は総て開け放れていただろうに、声が通らないはずはもなかった。
賢三はいま一歩足を踏み入れて、内玄関から声を大に呼びかけた。
しかし、家の中からは一切の反応も無く、一度出直そうと表に出た途端、かなり先の方から此方に向かって会釈をする人物を観とめるのだった。
賢三には一瞬にして、彼が誰なのか察しがついたのだろう、長身で、小奇麗な白い開襟シャツを着た、あの光恵の目や鼻や口元を彷彿とさせる男の端正な顔に対して腰を折って丁寧に頭を垂れたものだ。
早足で近づき自身を名乗る光恵の父、尚一の言葉に被せるように、賢三は岡谷の工場の同僚だったことだけを告げた。
大切そうに抱えていた風呂敷包みを持ち替えるとさらに穏やかに、家の中へと手招きをする父尚一。
それにしても賢三は、光恵とのことをそれ以上話す積もりは毛頭無かったのである。
室内のことでさえ、光恵の話した通りで賢三の想像を異にしていなかった。
築年数こそ経ってはいたが、太く丈夫な柱と立派な梁、厩の鶏に兎に黒光りする板の間、真新しい筵の敷かれた囲炉裏の茶の間、そして、光恵の位牌が祀られた座敷には家族の有りっ丈の気持ちの詰まった仏壇が設えてあったのだ。
促されるようにその前に座って蝋燭から線香に火を点す頃、尚一は肩口から、生前の健気な光恵の闘病生活を静かに語り始めるのである。
おそらくは自身の運命を悟っていただろうに、終止一環して残りの人生を前向きに生きようとしたことを。
いよいよ病状が悪化しても、世話になった人々への感謝の言葉を口にし、努めて明るく振舞おうとしたことを。
そんなあるとき、新たな生命を宿していることを自覚した光恵の身体が驚異的な回復力を見せ、いかに歓喜したかを。
そして、ついに奇跡が起きないことさえ認めざるを得なかった光恵の、天国から地獄ほどの落胆振りを。
おおかた尚一は、最初から賢三の立場を分かってのであろう、光恵への気持ちをおもんぱかって諭すように、穏やかに。
それは、賢三にとってまさに青天の霹靂だったに違いない。
一瞬、光恵との楽しかった思い出が走馬灯の如く脳裏をよぎり、次の瞬間、涙がこみ上げるのを自覚していた。
咽ぶように咳き込みながら向き直り、伏せ目がちに尚一の顔を見上げていた。
いよいよ目線さえ上げて何かを語ろうとする賢三の肩を両手で庇いながら、尚一は、眼で制止してやるのが精一杯だったのだろう。
救われたように嗚咽する賢三こそ、逝ってしまった光恵に対して、今更自身を弁解していったい何の供養になりえよう。
尚一は、わが娘光恵がほんの僅かでも女としての幸福を実感できた感謝の気持ちを代弁するように、黙したまま共に肩を震わすだけだった。

 

昭和初頭、国内の慢性的な経済不況と世界中から巻き起こる大恐慌の煽りは、都市部はもとより地方の農村部にまで影響を及ぼしていた。
「国民の平和と世界の共存繁栄を願ったもの」として改元された元号「昭和」という名の時代こそ、皮肉にも、政党政治の終焉と軍部の勢力伸張により自ら進んで世界から孤立の道を突き進もうとしていた。
当時、尚一の家族だけが特別だったわけでも、ましてや自ら進んで不幸な道を選んだわけでもあるまい。
幼くして両親を亡くし、たらい回しにされた親戚中から疎まれながらようやくみつけた安住の地だったはずなのだ。
山村、松之山の自然の恵みと多くの人々の恩に応えるよう、いつしか地域に小さな光を灯そう、根付かせようとささやかな希望を見出していた。
だが、志しも半ばでその光恵を逸早く亡くし、看病疲れと精神的衝撃がたたり今妻は長岡の結核療養所で病の床に臥せっている。
自ら積極的に地域社会に溶け込もうと努めていた尚一がこうして再び畏怖され忌嫌われ、果たして心中幾許のものかは察するに余りある。
尚一は村人たちの関わり合いの中で、いったいどのような理想の家庭を想い描き、また地域社会に溶け込もうとしていたのだろうか。
家族のために精一杯働こうとした一途で直向な光恵が一等先に逝き、村のために精一杯働こうとした正直者の尚一が、いまこの松之山の地から下りることを決意していた。
そして、一軒一軒世話になった家々をまわって挨拶を済ませ、もう一度わたしの家に、父親とともに沙耶がやってきたのが昼過ぎだった。
再び深々と別れの挨拶をする父の横で、大きな厚紙の箱を差し出す沙耶。
俯き加減に、さも虫の鳴くような小声でわたしに貰ってほしいというのである。
わたしの暗黙の問いかけに頷く沙耶の瞳が潤んでいたのは分かっていた。
さらに沙耶の視線が指し示す箱の中身は分かっていたし、それがどんなに沙耶にとって大切なものかも分かっていた。
手渡された箱の蓋がゆっくりと開けられてゆくわたし達の視線の先には、亡き姉光恵が帰省するする度に土産として持ち帰る京千代紙で折った大小の鶴が収められていた。
まるで絹布の衣装でも纏ったように凛として穏やかに、今舞い上がらんとする幼い鶴やゆったりと優美に羽ばたく数羽の鶴。
光恵と沙耶の成長の証だった。
わたしを見つめる沙耶の、少々はにかんだ笑顔が何を意味しているかは分かっていた。
沙耶や沙耶の家族にとって真に大切なこの折り鶴を果たして貰って良いものやら、再度わたしの問いに対して大きく頷き返す沙耶。
その様子を合図に、父親は深々と丁寧にお礼の言葉を述べ終えると沙耶の背中を促すように華奢な腕をとった。
今にも泣き出さんばかりに俯く沙耶の小さな身体が、これから旅立とうとする一家の新たな道筋に向けられてゆく。
それでも沙耶は押し黙ったまま、父に手を引かれるように歩み出した。
肩を落として父の後をゆく、いじらしいほどに健気な小さな背中が時折こちらに向かって振り返る。
いよいよ二人の背中がブナの林に溶け込む頃、もう、わたしは有りっ丈の声で沙耶の名前を叫ぶだけだった。
あのとき、無言で振り返る寂しそうな沙耶の後姿、最後に放たれた光恵の言葉と壮絶な情景、幼心に、まぶたの奥に焼きついた記憶こそ、終生、消え去ることはあるまい。

 


ウィキペディア」「豪雪を生き抜いた農民たち」「国史大事典」「あゝ野麦峠」等を参考にさせていただきました